いじめのニュースを聞くたびに

大津市の中学2年男子生徒の自殺問題
ニュースで頻繁に報道されています。
こういったニュースを聞く度に、思う事。
少し過激な考え方かもしれませんが、中学生の時に、いじめにあった人間の言葉として聞いて欲しいと思います。

いじめは無くなりません

組織というものがある限り、いじめを無くす事は出来ないと思うのです。
組織という言い方よりも、集団という言い方の方が良いかな?

報道されるいじめ問題=学校という集団単位。クラスという集団単位で発生する事象ですが、実際には職場であったり、社会であっても、いじめは起こっているのです。

世の中には、卑劣な人間がいます。
そういう人間が、自分が所属する(有無を言わせず所属させられる学校という集団)にいたとしたら、攻撃対象になった人間に待っているのは悲劇だけです。
さらに問題なのは、その卑劣な人間にあいまいに同意してしまうその他大勢という集団です。

もちろん、いじめをなくす努力は絶対必要です。
ですが、そこから対象になっている人間を逃がすという発想も必要だと思います。

積極的にそれを和らげるためには、集団の単位をあいまいにするという方法もあると思います。
クラスという括りを廃止するというのも方向性としては間違いでは無いとおもいます。
ただ、例えばいじめにあった人間を集めて1つの集団(クラス)を作ったとしても、そこでまたいじめが発生してしまうのではないか?それほど人間というのは他者との比較でしかアイデンティティーを確立できない存在なのだと思います。

ちょっとまとまりが無い話になってしまいましたが、いじめを無くすという大前提は当然強固に持ちながらも、無くならないいじめという視線から違う選択肢を用意する事ができなければ、これからもこういった悲しいニュースは無くならないのではと、感じています。

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